日本人論を考える①

2011年3月11日に日本は未曾有の大震災に見舞われた。この際、特に被災地における日本人の行動に対して外国メディアは次のような報道をした。「日本人は未曾有の災害に見舞われても個人的感情を抑制し、秩序を重んじた行動をとった」。「敬意と品格に基づく文化、愛国的な誇りが日本にはある」。「今回もっと大きな災難の中でも秩序意識を失わない日本人に驚きと敬意を表する」。などここには一部しか書いていないが驚嘆の声をもって報道していた。私自身この報道を聞いて妙に納得をしてしまった。普段日本人がこうであるということを意識していないにもかかわらずである。報道の中で日本人が略奪をおこなったことは一度も流れず、秩序正しく救済物質を受け取る日本人の姿が流れるたびに日本人論は私達を映す鏡ではないかと考えた。

 

この震災での日本人の態度を表現あるいは説明できる日本人論として和辻哲郎氏の『風土』を例に理由を説明したい。和辻氏によれば風土によって文化的性格を3つに分類できるという。(『風土』和辻哲郎 岩波書店、1979)自然の暴威が迫る環境で受容的・忍従的な態度をとるモンスーン型、不毛の土地であり死と隣り合わせな環境のため対抗的・戦闘的になる砂漠型、自然の法則性を保つ穏やかな環境をもち、自発的・合理的な態度をとる牧場型の3つである。このなかで日本はモンスーン型にあたる。深刻な防風・大雨・洪水が襲い、また、干ばつ、冷害、雪害、地震に見舞われることの多い風土を持つからである。これらの自然の暴威に対抗してしまうと被害が大きくなってしまうことを感じ取り、ひたすら耐え忍ぶということを培ったのである。

 

今回の地震でも同じように略奪などを我慢し耐え忍ぶという日本的態度があったからこそ、日本人がこのような行動を導いたのであるといえる。しかし、震災を通じて、ガソリン、水などの物資の買い占めや、一部の人々による犯罪など。必ずしも日本人論で説明できるとは限らないパターンも見受けられたことは興味深い。