群読について【小学校国語】

新しい学習指導要領では、生きる力をはぐくむことを目指している。生きる力とは、「確かな学力=知」「豊かな人間性=徳」「健康・体力=体」を合わせたものである。この生きる力を身につけるために、基礎的・基本的な知識及び技能を習得させ、これらを活用して課題を解決するために必要な思考力、判断力、表現力等をはぐくむとともに、主体的に学習に取り組む態度を養うために、言語活動の充実を図るのである。国語科においては、「話すこと・聞くこと」や「書くこと」、「読むこと」に関する基本的な国語の力を定着させたり、言葉の美しさやリズムを体感させたりするとともに、児童の発達の段階に応じて、記録、要約、説明、論述といった言語活動を行う能力を培う必要がある。

 

 以上をふまえた上で、“群読”という学習活動について“言語活動の充実”という観点から批評していきたい。そもそも群読とは、単独、あるいは複数の読み手が文章や詩を分担しながら朗読することである。群読を行うことで、まず読む力を養うことができると考えられる。劇や紙芝居などの言語活動と異なり、群読は読む量が圧倒的に多い。また、読む際の抑揚や速さ、リズムなどの変化によって多種多様な読み方ができる。読む力以外にも、文章をグループでどう朗読するかを話し合ったり、発表で朗読をよりよくするために動きを加えたり、また他のグループの発表を聞いたりすることで“群読”を通じてさまざまな能力を培うことができるだろう。詩の学習で一番つけさせたい力は読む力であるが、そのための言語活動の工夫は様々に考えられる。紙芝居、劇、グループワーク等がある中で群読を選択する理由はなんだろうか。私はそれを各言語活動の特徴から考えた。紙芝居や劇というのは、詩や文章のすべてではなく部分的を取り上げて(自分の言葉でまとめて)行うものである。劇は動き中心、紙芝居は絵中心と言える。そのため、子どもたちは表現しやすいと感じるのではないだろうか。その反面、群読はどのように表現すればよいのか子どもたちには、わかりづらい面もある。もともとある文章にどのような工夫を加えられるかというのはたくさんあるが逆に選択しづらくしていると感じる。表現のしやすさという面では他の言語活動に一歩劣ったが、優れている点もある。それは高度な表現を可能にするという点である。つまり、劇や紙芝居と違って、文章のすべてを読みさらに解釈を加える群読は、作品の世界観であったり、作者の想いを、子どもたちが実感として理解できるのではないかと考える。文章の中の小さな表現が実は大事であったり、鍵となっていることもあるが、部分的に取り上げる劇や紙芝居ではそういった表現を逃してしまう可能性もある。作者の書いた文字に無駄なものはないという視点から、群読を行うことは言語活動の充実に非常にプラスに関わってくるのではないだろうか。表現しにくいという点があるといえども、一通り表現できてしまえば子どもたちにとって有意義な活動となるのが群読である。